佐久間勉艇長

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今年4月16日に韓国フェリー船セウォル号が沈没をし、死亡者280人以上という大惨事が起きたことは周知のことです。とりわけ痛ましいのは、修学旅行の高校生がたくさん犠牲になったことです。
これは事故というよりは、人災とでもいうべきであり、船長を始め運行に関わった幹部には、殺人罪が適用されようとしています。乗組員は、乗客の救助を一切せず、我先に脱出するイ・ジュンスク船長の映像を見るたびに怒りが込み上げてきます。その姿には、仕事への使命感や責任感といったものがまったく感じられません。

この惨事を知った時、私は今から約100年前に起きた第六潜水艇沈没の事故を思い出しました。
1910年4月16日 第六潜水艇は山口県新湊沖で半潜航訓練中にトラブルに見舞われ、佐久間艇長以下14名の乗組員と共に沈没し、全員が死亡したという事故のことです。
この事故で佐久間艇長が事故の一部始終を書き記したメモが、後に「佐久間艇長の遺書」という形で国内外で大きな反響を呼び、欧米でも軍人のお手本として永く紹介されました。

遺書の内容は割愛しますが、何が多くの人々に感銘を与えたのでしょうか。
それは、事故が起きてからの2時間40分間、乗組員は持ち場を一切離れず、最後の最後まで修繕に力を尽くしたということです。
国外(主に欧州)にて同様の潜水艇の事故では、脱出しようとする乗組員が出口に殺到し、最悪の場合は乗組員同志で殺し合うという悲惨な事態になるということがあるそうですが、第六潜航艇の乗組員はただの一人も出口に殺到することがなかったということです。つまり、自分の命は当然大事だけれども、自分個人の命を優先するのではなく、皆の命を考え、最後まで持ち場を離れなかったということです。
2時間40分の間、真っ暗闇の船艇内で、有毒ガスと薄くなっていく空気の中で、どれだけの恐怖が襲いかかってきたことでしょう。
そんな時でも冷静さを保ち、職務を遂行した佐久間艇長始め14名の方に心から敬意を表します。
我先に脱出する、セウォル号の乗組員とは人として根本的に違っているのです。

セウォル号の事件で残念なのは、乗組員の一人も乗客の避難を促した者がいなかったということです。もし、誰か一人でも、「船は沈没する恐れがあります。しかし、2時間は絶対に沈むことはありませんので、皆さん足元に気をつけて焦らずに甲板に出て下さい。そこに救助の船が待っています。」というアナウンスをしていたなら、一人の犠牲者も出すことがなかったのではないかと思うと、これは人災だったと言わざる負えません。
私はこのような危機的な状況に接したことがありませんから、好き勝手な事を言っているように聞こえるかもしれませんが、この事故を教訓とし、危機管理についてもう少し真剣に考えようと改めることにしました。

セウォル号で亡くなられた多くの犠牲者に心からご冥福を祈ります。

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