上杉鷹山
第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、日本で最も尊敬する政治家はと日本人記者から問われてUESUGI YUZANと答えました。
鷹山は、1751年7月20日宮崎県高鍋藩秋月家の次男として生まれ、9歳の時に上杉重定の娘幸姫(17歳)と結婚することを前提に上杉家の養子になり、17歳の時に正式に上杉家を継ぐことになりました。
そして、 破綻寸前だった米沢藩を救いました 。

私も上杉鷹山を尊敬している一人ですが、その理由は鷹山が米沢に入国したその夜に詠んだ一首を拝見したからです。

「受けつぎて、国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」

鷹山の決意が感じられます。
これを目にした時、背筋が伸びる思いで感銘したのを覚えています。
私は約30年ぶりにふるさとに帰ってきました。
ふるさとの先人が守り育んできた志賀町の文化生活をそのままに、更に豊かな暮らしが送れるよう、鷹山の気持ちを胸に頑張っていきます。

広末涼子さんの話題が世間を騒がせていますが、この手の話を耳にすると
不倫は当事者同士の話であって、世間がどうこういう話ではないのだが
それでも世間の注目を集めてしまい話題になってしまう。
政治家も芸能人と似て、どちらも人気商売なところがあって、芸能人は世間から政治家は有権者から認めてもらわないとその立場を維持できない。
そのため、本来の自分とは違うが世間受けするイメージをつけようとする。
どちらも良い人がテーマ。

しかし、芸能人も政治家も聖人君子でいる必要があるのか。
芸能人の存在価値はその芸や演技から我々に夢と希望、元気を与えてくれることだろうし、政治家は我々の生活が楽に豊かにしてくれることだろう。
法律の範囲で世間並みの人格者でいいはずである。
世間もこの意見に賛同してくれると思うが、なぜか話題になる。
マスコミの報道の仕方もあるのだろうが、それにのって面白がっているだけなら当事者が不憫に思えてくる。
広末さんの女優としての功績を考えるとこの一件ですべてがなかったことになり、報道が過熱をし魔女狩りのようにならないことを願うばかりである。

フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィル1805年~1859年
トクヴィルは当時、近代社会の最先端を突き進んでいると感じたアメリカを旅して「アメリカのデモクラシー」を書きあげた。
この本は今でもアメリカの歴史や民主主義の歴史を学ぶ上で欠かせない教科書となっている。
トクヴィルは、今後アメリカは先駆的役割を担うことになるであろう。だが同時に、その先には経済と世論の腐敗した混乱の時代が待ち受けているだろう。更に民主政治とは「多数派(世論)による専制政治だ」と断じ、その多数派世論を構築するのは新聞、今でいうところのマスコミである。

トクヴィルが生きた時代から170年経って、まさにトクヴィルが指摘した通りの世の中になっているのではないでしょうか。
権力者はマスコミを利用し、そこから自分たちに都合の良い報道を発信し、それによって自分たちが望む行動へと人々を駆り立てている。
それはすべてビジネスのため。
金儲けのためです。
今回のLGBT法に関しても、国民議論が尽くされていません。
それどころか、LGBT問題を差別問題と混同して多様性を認めよという議論にすり替えて世論を煽っている。

トクヴィルはこうも言っています。
「大衆世論の腐敗・混乱に伴う社会の混乱を解決するには宗教者や学識者、長老政治家などいわゆる「知識人」の存在が重要であり、民主政治は大衆の教養水準や生活水準に大きく左右される」
つまり、権力者がどれだけマスコミを使って情報操作をしようとも民度が高ければ操作された情報を見破り社会の混乱を避けることができると。
しかし、頼りとされる知識人はどこにいるのでしょうか。

ゴルゴ松本さんの命の授業をYouTubeで拝見し「難」があるから「有難い」という話に感銘を受けました。

人生で直面する「苦難・困難・災難」はネガティブに捉えられるが、これが無いと「無難な人生」として、「そんな無難な人生は楽しいのか?」と問うています。そのうえで、「難」が「有」から「有難う」となるのではと。

そう考えると、現状の苦難・困難・災難を「この経験があったからこそ、今の自分がある。有難う」と言えるように今を頑張って乗り越えようと勇気と元気を伝えてくれている言葉として素晴らしいと思いました。その一方で、苦難・困難・災難のど真ん中にいる方にはこの言葉は届かないだろうなと思いました。
この言葉が届いたとしたらその人の出口は近い。
既に元気を取り戻し毎日をしっかり生きている人だろうと思う。
出口も見えずどうしていいか分からないどん底にいる人には「この経験は将来有難うとなるから頑張れ」と言っても「励ましてくれて有難う」とはならない。
辛い事は同じことを経験した者にしかわからないから。「ほっといてくれ」となる。しかし、同じことは経験していなくても、苦難・困難・災難を乗り越えた人はたくさんいる。その経験をもとに言えば「とにかく生きよう。まず今日を生きよう。そのためにしっかり食べて睡眠をとろう。どん底の穴を掘るようなことはしてはいけない。」そう伝えたい。

①他人の目
②挑戦した結果の失敗
③行動しない人からの批判
④あなたの成功に嫉妬する人
⑤自分を成長させるための投資
⑥あなたを否定する人の言葉
⑦人に嫌われること

インスタグラムの投稿にこんなのがありました。
⑤の意味はわからないのですが、それ以外はなるほどですね。

日台議員連盟の総会が金沢市で開催されましたので、総会参加のために訪れた京都市議田中明秀前議長からお誘いを頂き、同じく総会に参加された京都市議の同僚議員の方々と一献交えました。
田中先生とは全国伝統工芸振興議員連盟で、金沢市が会長で京都市が相談役という役回りにおいて、私が会長を務めていましたときの良き相談役として本当に支えて頂きました。
この議員連盟は日本の伝統産業を守り、後継者を育成し後世につなげていくことを目的に5年前に発足したのですが、その後コロナ禍で十分な活動が出来なかったため、私の役割としてはまずは会員数を増やすことにありました。
全国で伝統産業を持っている都市は約380なのですが、加盟都市はまだ50にも達していないので、まずは100を目指したいと役員都市に訴えましたところ、田中先生は政令市に声をかけてくださり、その人望から神戸市と熊本市が新たに加わってくれることになりました。
神戸市は全国市議会議長会次期会長に内定しているので、神戸市の加盟は大変心強く、今後の活動にも弾みがつくことを期待したいです。
日本の産業の根源は伝統産業のものづくりの技術にあると思っています。
今後もしっかりと取り組んで行きます。

妻が町内一斉清掃に参加した際、後ろから私の話しが聞こえてきたそう。
「高岩さんどうしとるんかね。」
「落選したらただの人やしね。」
その方々は悪気はないと思うし、妻がそばにいることもわからなかったよう。
妻には肩身の狭い思いをさせてしまって申し訳ない。

落選した議員の状況は、「ただの人」ではなく、「ただの人以下」やと聞かされていました。
支援者からの冷たい視線。
支援者以外からは「まぁ次があるわいや」と心にもない言葉。
つらいぞと聞かされていましたので、覚悟して挨拶まわりを行っているのですが、そのような対応はほぼほぼゼロです。本当にほぼゼロなんです。
みなさん、気を使ってくださり、人の情けとぬくもりを感じています。
中には、私の体を気遣ってくださり、いろんなものをもらいます。
かわったところでは、生の冷凍された岩だこや獲れたてのさざえ。
浜どこならではと思いきや、今朝は7時前に「お米あげるからおいで」と
支援者のおばぁちゃんから連絡がありました。
志賀町の人に限ってなのでしょうか、支援してくださった方も別の候補を応援した方もみなさん、とてもやさしい。
「能登はやさしさ土までも」
本当にそうやなと実感しています。
今日も素敵な町民に会いに行ってきます。


車を運転するには自動車免許が必要ですが,お金を使うのに免許はいりません。
当たり前のようですが、どちらも使い方を間違えると取り返しがつかない事態を
招く恐れがあるということからお金の取り扱いについても車と同様慎重であるべきだと考えています。
独り立ちした後、金融トラブルに巻き込まれない為にお金の使い方・稼ぎ方・借り方などお金との関わり方について子供達に教えて欲しいとの声から、只今高校生・大学生向けの金融セミナー資料を作成しています。

一般的に「眠れない」というとネガティブにとらえられますが
私の場合は、そうでもないんです。
議員時代、やらなければいけないことや、やりたいことがたくさんあって
更に陳情なども重なり、もたもたしていると仕事がどんどん溜まってしまい
結局なにもできないなんてことにならないために、頭の中は常にフル回転でした。そのため、布団に入ったあとも頭が動いているのでしょう。なかなか寝付けない日が多かったんです。

挨拶まわりを続けていますと落選した私に労りの言葉とともに期待の声を頂戴します。
その声を聞くうちに、バッジはついていないがやれることはある。
選挙の時に志賀町民に訴えてきた施策を少しでも実現しなければという想いが強くなり、今の私の頭はフル回転です。
そのため、現役時代同様、眠れなくなりました(笑)

来年2月2日金沢で先行上映され2月8日から全国放映される「レディ加賀」の試写会に呼んでいただきました。
なぜ呼んでいただいたかといいますと、この映画のプロデューサーが石川県出身の村田徹さんで、私が金沢市議会議員をしていた頃に知り合い
金沢を日本にハリウッドにしよう。そしてKANAZAWA国際映画祭を開催したいと夢を語り合った仲で、私の役割として市議会で金沢市はもっと映画産業に力を入れるべきだとなんども主張してきました。

映画の撮影場所は加賀市と金沢市で、それぞれの街の特徴を活かした映像が盛り沢山で、来年の北陸新幹線敦賀開業も重なり、映画の力で街が元気になることを期待しています。
今後は、この活動を能登とも連携し、能登を日本のハリウッドにを目標にがんばっていきます。

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