上杉鷹山
第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、日本で最も尊敬する政治家はと日本人記者から問われてUESUGI YUZANと答えました。

ケネディがなぜ上杉鷹山を評価したのか。それは、破綻寸前だった米沢藩を救った手腕の持ち主だったからだと思います。
鷹山は、1751年7月20日宮崎県高鍋藩秋月家の次男として生まれ、9歳の時に上杉重定の娘幸姫(17歳)と結婚することを前提に上杉家の養子になりました。
そして、17歳の時に正式に上杉家を継ぐことになりました。
鷹山が米沢に入国したその夜、このような一首を読みました。

「受けつぎて、国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」

日本には1300余りの自治体が存在します。その数だけ首長がいます。
すべての首長にこの精神で自治体運営を行って欲しいものです。

鷹山は直ぐに米沢藩の行政改革に着手しました。まず、大倹約令を発して藩財政の立て直しをはかりました。自身の生活費を7分1に切りつめ、奥女中50人を9人にし、食事は一汁一菜。着物も木綿にして自ら節約の手本を示しました。
また、「民の父母」として根本方針として「三助の精神」を出しました。
①自助 ②互助 ③扶助
現代では、自助 協助 公助 として地域コミュニティーの形成でもっとも重要視されている精神です。

更に、90歳以上の者には亡くなるまで食べていける生活費を与え、70歳以上の者には村が責任をもって世話をすることと決めました。加えて、老人を大切にする親孝行者には褒美が与えられました。
250年前に既に年金制度を取り入れていたことに驚きます。
現在の日本の年金制度は破綻寸前だというのに。

鷹山は、国を治める根本は道徳の確立にあると考え、教育にも力をそそぎました。
日本の教育は日教組に支配されていた時代が永く、国を誇る気持ちがなく、自分にも自身が持てない子供が育っています。その理由は、小中に歴史の教科書には南京大虐殺や従軍慰安婦の強制連行など事実と異なる内容が載っているからです。仮に一兆、一京歩譲ってそのような事に近い事があったにしても、子供にわざわざ教える必要があるのかと思ってしまいます。

鷹山は何と35歳で隠居しました。
その時、家督を譲った治広に「伝国の詞」を送りました。
後に、この詞が「国を治める心得三ヵ条」として、上杉家の家訓となりました。

一 国家は先祖より子孫へ伝えるものであって、藩主のものではない。
一 人民は国家に属するものであって、藩主のものではない。
一 国家や人民のために藩主を立てるのであって、藩主のために国家人民があるのではない。

このような事を考えていたから、早く隠居したんだと思います。
それに、長期政権は必ず滅びます。これは歴史が既に証明していることです。

最後に有名な歌を紹介して終わりにします。

為せば成る 為さぬば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり

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