今年4月に天皇皇后両陛下が慰霊の為にペリリュー島を訪問なされた事に影響を受けて、自民党石川県連青年局のメンバーで同島を訪れてきました。
季節は雨季。時折スコールが降る南国特有のジメジメとした空気の中、それでも太陽が雲の切れ間から顔を覗くと痛いほどの日光に紫外線が日本の4倍もあるということを実感します。71年前のこの季節に日本軍と米国軍がこの島を舞台に死闘を繰り広げていたと思うと紫外線による日焼けを気にしている自分がバカみたいに思えてきます。

ペリリュー島は面積が13km² 南北9Km東西3kmしかなく車で30分ほどで島を一周出来るほど小さな島ですが、ここで71年前日本軍約1万人米国軍約4万人による戦いが行われました。
米国軍は当初、こんな小さな島は3日で攻略出来ると豪語していたそうですが、中川州男陸軍大佐率いる日本軍は圧倒的な数の差においても勇敢に戦い、2ヶ月半にも及ぶ死闘を繰り広げました。しかし、持久戦になると戦力の差には勝てず日本兵1万人余りの尊い命が亡くなってしまいました。
島には今もその時の爪痕がいくつも残っていました。

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ペリリュー島で一番高い所から撮影しました。今はジャングルですが71年前は米軍の激しい艦砲射撃によって森を失ったそうです。

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日本軍の大本営があった場所です。占領後は米軍の基地になったそうです。

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1200mある滑走路を米軍はフィリピン攻略の為にどうしても欲しかった。
そのためにペリリュー島が戦場になりました。

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多くの爪痕が今も残っていました。

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千人洞窟と言われており、この場所でも多くの日本兵が亡くなりました。
どのような想いで洞窟にいたのかと考えると慰霊碑にかける言葉が見つからず、感謝の気持ちしか伝えられませんでした。

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南方での戦地では硫黄島が有名ですが、実は顕彰碑が一番多いのはペリリュー島だそうです。
それだけ激戦だったということでしょうか。

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ペリリュー神社

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天皇皇后両陛下が慰霊をされた「西太平洋戦没者の碑」
両陛下は海の向こうにあるアンガウル島に向かっても一礼をされたそうです。
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中川州男陸軍大佐の慰霊碑です。
中川州男大佐は先に起こったサイパンでの戦いを知っていたので、ペリリュー島が戦場になることが濃厚になった時点で全島民を避難させました。
そのおかげで民間人の死者を1人も出すことがありませんでした。
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南京問題や従軍慰安婦問題で代表されるように中国や韓国のような反日的な国の言い分を鵜呑みにして、日本軍が戦場で酷いことをしてきたと言っている人を見かけると英霊の方々に申し訳なくただただ残念な気持ちになります。
誤解をされている方々には是非ともペリリュー島に行って真実を知って欲しいと思います。
私は英霊の方々をはじめ、先人のおかげで今の日本の繁栄と平和が築けていると思っています。
その事を一人でも多くの日本の人々が理解をしたならば、日本は今以上に素晴らしい国になるでしょう。

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パラオ共和国田尻和宏日本大使にお会いし、パラオと日本の関係や今後の友好について話を聞くことが出来ました。
偶然でしたが田尻大使は石川県かほく市の出身という事で郷土の話しでも盛り上がりました。
田尻大使以外にもペリリュー島で民宿を営んでいる方が石川県七尾市出身であったり、最終日に出会った新婚さんのご両親が金沢市に住んでいるなどパラオで石川県のつながりの連続に驚きました(笑)

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